Monday 24 December 2007

レーニン先生の新政策


街の中心を歩くとレーニンが現れます。そのレーニン周辺もニューイヤーバージョンとなっていますが、そんなレーニンをよく見るとだいぶサイケでした。レーニンの足下にはなんと、「統一ロシア」からのメッセージが大きく掲げられていました。ロシア流民主主義を掲げる政党の上に、ソビエト連邦の象徴であるレーニン先生がそびえ立っています。 インターネットの記事などではロシアの報道の自由や民主主義に関する記事をなぜか最近頻繁に目にします。ロシア世論調査の結果分析の記事では、「自由と安定の選択を迫られた際に、ロシア国民は安定を選ぶだろう」という内容のものがありました。安定の上に自由があるという発想からです。この発想は、例えば、バンドを結成してガレージに集合しても、電気が不安定でアンプのスイッチを入れられないならば音はならないという意味です。しかしここで問題にしているのは、国民の目標が安定にあって、その先のものには興味が無い、または知らないということです。ガレージでの目的が電源を入れる事であって、ギターを弾く事ではないということになってしまいます。
でも、ギターを手にしたところで弾き方を知らなければ弾く意味も特段無い訳であり、知っている情報も限られているために弾いたとしても皆同じ曲をプレイしてしまうという感じです。
こういった状況と、メディアコントロールが働いて国民は自由な発想を無くしているという指摘の記事でした。
メディアコントロールに関しては、マスコミを見方に付けているのは統一ロシアのみで、これが危険な統制を生んでしまうという言及もされています。
しかしインターネットではどこの国の情報も集められるし、テレビのニュースにおいては日本よりも情報レベルは上だと思います。なのでよく言われる「ソビエト復活」はあり得ない話であり、統一ロシアも独自の民主主義を目指しています。そのロシア流民主主義というのが安定という事であり、それは所謂先進国の持つ民主主義の定義には当てはまらないみたいです。それが正しいのか正しくないのかは国民の判断する所であり、国民は実際にまだ見ぬ自由よりも日々の生活の安定の方が大事だと判断するのも当然であると思います。
しかしこれだけの大きな国土を見ると、たくさんの可能性が残っているように思え、これらを最大限に活かしてくれればとてもいい社会になると思います。
レーニン先生は統一ロシアの世界をどのように見ているのでしょうか。いずれにしてもこの写真はとても面白いです。
「ロシアを信じよう、自分を信じよう」

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